しあわせの哲学、その1
- 海見山 正覚寺
- 2021年8月2日
- 読了時間: 2分
大好きな100分で名著シリーズに出てたり、
妹と同じ高校出身だったりと、
何となく身近に感じている西研先生の新刊。
早速買ってみることにした。
「しあわせ」をとりあえず、
「人が元気に喜びを持って生きていく」と定義して、
そのための条件を読者と一緒に考えていく本。
人間はほかの霊長類、チンパンジーなんかと違っていて、
今ここ、だけではなくて、
言語の所有によって、未来や過去を持ってしまう、ということを挙げている。
そして人間が生き生きとするためには、
未来に可能性を持つということが大事だ、ということ。
これは本当によくわかる。
癌の告知をされた人が、
余命を迎えるより先に自死を選択するって話が法話でよく聞かれるけれど、
あれだって未来の可能性が亡くなったっていうことだ。
もうちょっとページをめくると、
「したい」と「できる」があってこそ、
人間は未来に豊かな展望を持った今を生きることができるという話。
ルソーはエミールの中で、欲望と実現可能性の均衡が取れている時、
人間はしあわせだと言っている。
これ、小欲知足につながる話だね。
いつかご法話で使いそうだから、ままに引用しておく。
「わたしたちの欲望と能力のあいだの不均衡のうちにこそ、わたしたちの不幸がある。その能力が欲望とひとしい状態に状態にある者は完全に幸福と言えるだろう」ルソー、エミール。上。岩波文庫。
以上が第一章。
次章はハイデガーの死についての見解、
これも非常に優しくまとまっている気がする。
読み進めるのが楽しみ。

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