輝く讃歌/賞雅哲然 目次
第一章 ひたすらに待ち給うみほとけに
帰命無量寿如来 南無不可思議光
無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる。
限りない智慧と限りない慈悲のみほとけの仰せに、ハイとすなおに信順しおまかせ致します。
一 聖人の信仰
このお言葉は、一行二句の短い言葉でありますが、親鸞聖人の信心の喜び、信仰のありったけを言い表されたお言葉であります。
親鸞聖人が今の世に生きておられたと仮定して、
親鸞様あなたは幼くして両親にお別れになり、人生の無常を感じつつ出家され、比叡のみ山に登って、血の出るような難行苦行をされました。29才の時に比叡のみ山に見切りをつけられて、六角堂の救世観世音菩薩の夢の暗示を受けて、吉水に法然上人を訪ねられました。法然上人の導きによって他力のお念仏の世界におはいりになり、それ以後厳しい人生を、お念仏を支えとして生き抜かれましたが、あなたの信心、信仰の喜びは如何なるものでしょうか、とお尋ねしたら、おそらく聖人はにっこりほほえまれて、「帰命無量寿如来、南無不可思議光」とお答えになると思われます。
それは聖人がこのお正信偈の前に、これを書くお気持ちをお述べになって、
「然れば大聖(たいしょう)の真言に帰し大祖(だいそ)の解釈(げしゃく)に閲(えつ)して仏恩(ぶっとん)の深遠(じんのん)なることを信知して、正信念仏偈を作って曰(いわ)く」と仰せになっておられます。
このお言葉のおこころは、お釈迦様の真実のお言葉をいただき、七高僧のお指図を仰いだ時に、いよいよ広大無辺の親様(阿弥陀如来)の御恩の深さが知らされました。今私はその喜びを正信念仏の偈頌(げじゅ(うた))に書いて申し上げます。と述べておられます。すればお正信偈全体が信心の喜びの讃歌と言えるでしょう。従って本願寺で正信偈を意訳されました時、信心のうたと名づけられました。
お正信偈を書くにあたっって、徳にその最初に自分の信仰をお述べになって、「帰命無量寿如来、南無不可思議光」と仰せになりました。
二 すなおに御仏のお呼び声に
帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい) 南無不可思議光(なもふかしぎこう)
このお言葉は幼少の頃より聞き馴れた懐かしい言葉であります。この響きに接する時、暖かい命のふる里に帰るような懐かしさを感じます。
帰命と南無は同じ意味で、インドで南無と言い、中国で帰命と翻訳されました。
親鸞聖人はこの帰命についていろんな角度からその意味を述べておられますが、その一つに「帰命はすなはち釈迦・弥陀の二尊の勅命にしたがひて、召しにかなふと申すことばなり」(尊号真像銘文)と述べておられます。即ちみ仏の呼び声に素直に従い、おまかせする事であります。
次に無量寿如来、不可思議光とは二人の仏様のことではなくて、苦悩の私を救うと立ち上がって下さった懐かしいみ仏の名前、即ち阿弥陀如来のことであります。このみ仏は、お慈悲に限りがないから無量寿如来を申し上げます。また、お智慧に限りがないから不可思議光仏と申すのであります。
すればこの一行二句の言葉は限りなきお智慧とお慈悲の真実の仏さまが、我にまかせよ必ず救うとの呼び声にすなおにハイと信順し、おまかせすることであります。これが他力に信仰の姿であり、親鸞聖人の信心の喜びはこのほかにはありません。
三 求道聞法を通して
親鸞聖人の信仰は、この二句に余すところなく述べられていますが、この信仰の境地に到達するまでに二十年間の血のにじむ求道の生活があったことを私たちは見落としてはなりません。
真剣な求道、修行を通して開かれた信心の世界が、み仏の呼び声に素直に信順する境地でありました。私はこのことを思う時に行信教校時代に、道念厚く信仰の深かった先輩髙田慈光法兄(現行信教校教授髙田慈昭師尊父)から聞いたお話を思い浮かべるのであります。
この先輩のお寺に見知らぬ人が訪ねて来られました。何かの機縁で道を求める心が起こり、キリスト教、真言宗、天理教と転々と熱心に道を求めて遍歴されましたが、どうしても落ち着くことが出来ません。それで親鸞聖人の教えを聞かして欲しいと訪ねて来られたのであります。
この先輩は信仰厚く真面目な方でした。本堂に迎えて諄々と聖人の教えを話されて、私が救いを求める前に、すでに救われてくれよと呼び給う大悲のみ親のあることを話されました。その時この方は「私にはいよいよ解らなくなりました」と言われるのです。
その理由を聞かれますと、「外(ほか)の教えは私には一応理解できます。それは、キリスト教では罪を懺悔してお祈りしなさい。それによって神の愛を受けることが出来ると説かれ、また真言宗の教えでは私たちは本来大日如来と一体で、私の身体は大日如来の文身である。しかし煩悩によって汚されているから三密加持の修行(真言宗の修行の方法)によって煩悩を断ちきれば、仏になることが出来ると説かれます。
また天理教では、人間は神の子であるが欲によって汚されている。その為病気をしたり、いろんな災難を受ける。だから『欲を捨て、悪しきを払って助けたまえ天理王のみこと』とお祈りすることによって御利益を頂き幸福になれると説かれています。これらの教えは一応私には頷けますが、問題はそれができるかどうかにあります。しかし真宗の教えは私には解りません。」と言われるのです。どうしてですかと問われたら、それでは余りに話がうますぎると答えられたそうです。
私は40数年前放課後、この先輩と信仰談に花を咲かせている時に聞いたこの話が今も鮮やかに浮かんでまいります。み仏の仰せに素直に従うことがどんなに難しいかが、しみじみ思われ、親鸞聖人にこの境地(他力信心)がひらかれるまでに20年間の自力修行のあったことも今素直にうなづけます。
それでは私たちは他力に信仰に入るのには聖人のような求道が必要かと言う問題が残ります。聖人の求道、修行にかわるものが聞法なのです。聞法の積み重ねの上に開かれていくのが他力信仰の世界であります。私は毎月八日の照明会の例会でこの話をした時に、会員の本田藤さんが、「御法義はうかうかと聞いてはいけませんね。」と言われました。その時私は、「そうですよ。命をかけて守り伝えられたみ教えは、真剣に聞いてこそ初めて身につくのですよ。」と申しました。
蓮如上人御一代記聞書第一九三条に「至りて固きは石なり、至りて柔らかなるは水なり、水よく石をうがつ、心源もし徹しなば菩提の覚道何事か成ぜざらん、と言う旧き詞あり、いかに不信なりとも聴聞を心に入れまうさばお慈悲にて候間、信をうべきなり、ただ仏法は聴聞にきわまることなりと云々」と仰せになったのはこのお心であります。